法律には「民事の世界」と「刑事の世界」がある。法律相談のときに、よくこういう説明をさせていただいております。実際、裁判所は民事部と刑事部に分れています。
麻生副総理が、前財務事務次官のセクハラ問題について、「セクハラ罪という罪はない」という発言をされたので、これをきっかけに、「民事の世界」と「刑事の世界」の説明をしたいと思います。
【報道紹介】
麻生氏、また「セクハラ罪ない」持論重ねて主張、反発必至(共同通信)
「麻生太郎財務相は8日の閣議後の記者会見で、福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題に関連し「『セクハラ罪』という罪はない」との持論を改めて主張した。」(記事の一部を抜粋)
1 刑事の世界
刑事の世界の方が話しは簡単です。
誰かが刑法に違反することをすると、警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所で懲役刑になり、刑務所にいくという流れです。これが刑事の世界です。
つまり、刑法のルールに違反した人を、「国家」が処罰するというのが刑事の世界です。常に「国家→人」という関係になります。
逮捕するのは警察や検察で、裁判を起こす(起訴)のは検察官です。
裁判の内容は、内容は、常に刑法のルールに違反したかどうか、違反したのであれば刑罰はどうするかになります。
※刑法以外にも特別刑法があります。
※人には法人も含まれます。
※逮捕は個人でもできますが、速やかに警察に引渡さなければなりません。
2 民事の世界
では、民事の世界は何かというと、刑事の世界以外の世界です。
例えば、妻が夫に離婚を求めるのもそうですし、交通事故の被害者が加害者を訴えるのもそうです。労働者が会社に給料の支払いを求めるのもそうですし、殴られた人が殴った人に治療費の支払いを求めるのもそうです。
人(個人や法人)が人(個人や法人)に請求するという世界です。
訴えの内容は様々で、お金の請求であることが多いですが、立ち退きを求めることもあれば、離婚を求めることもあります。
※上記の人には、国や県や市町村が入ることもあります
3 二つの世界の関係
二つの世界はバラバラになっていますが、一緒に動くこともあります。
例えば、AさんがBさんを殴って怪我をさせたとします。
この場合、刑事の世界では、警察がAさんを逮捕し、検察が起訴し、裁判所がAさんの刑罰を決めます。
民事の世界では、BさんがAさんに対し、治療費等の支払いを求めて裁判を起こします。
この二つの世界のことが同時に起こる、つまり刑事の手続きをやっている最中にBさんがAさんに治療費等の請求をすることもありますが、多くの場合は、刑事の世界が終わった後に、民事の世界の裁判が始まっていますし、刑事の世界だけで民事の裁判は結局起きず、治療費等の弁償がなされないまま終わることもあります。
例えば殺人事件が起きると、ニュースでは刑事の世界の話ししか報じられませんが、その裏で、民事の裁判も起きることがあります。
ときどき、警察がなかなか動かないので、民事の裁判が先行し、その判決を受けて警察が動くこともあります。
よく、刑事事件の犯罪被害者の方の権利が問題になります。警察が犯人を捕まえて刑罰を科しても、それにより、被害者の損害が回復するわけではないからです。損害の回復は民事の世界であり、それは被害者が自分でやってという法律になっているのも問題の一つです。
※なお、平成19年の法改正で、被害弁償を円滑にするため、損害賠償命令という制度ができましたが、あまり広く利用されている印象はありません。
4 冒頭の麻生副総理の発言
さて、冒頭の麻生副総理の発言です。
セクハラは、刑法が定める犯罪ではありませんので、逮捕はされませんし、警察も検察も動きません。刑事の世界の話しではないということです。
では民事の世界ではどうかというと、セクハラは、民法709条の不法行為に該当することが多いです。損害賠償義務が発生します。
また、職場において懲戒処分の理由になることもあります。
前財務事務次官の件は、あくまでも民事の世界の話として話題になりました。雇用主が従業員に懲戒処分を下すべきか、報道機関の報道は名誉毀損になるか、被害者の被った損害はどうなるのか、という風にです。
全て、民事の世界の話しです。
それなのに、麻生副総理は「セクハラ罪という罪はない」と言い出したわけです。
法律には民事の世界と刑事の世界があり、この二つは基本的に別であるという基本的な理解があれば、こんな発言はしません。今回の発言で、麻生副総理が、この基本的なことを理解していなかったことが露呈してしまいました。
実は、これは大変深刻な事態です。
なぜなら、麻生副総理は、総理大臣を務めたこともある方であり、約40年間もの間国会議員を務めている(当選13回)、我が国屈指の国会議員だからです。
今回の発言で、あの麻生氏でさえ、民事の世界と刑事の世界という、法律の基本的なことを理解していなかったことが判明しました。とすると、他の国会議員は?ということになります。
国会は、法律をつくり、改正するところです。当然、法律に対するある程度の理解がなければ務まりません。理解しないまま意見を言えば的外れになりますし、適切に検討することもできず、判断を誤ります。
麻生氏が国会議員を務めているこの40年の間に、刑法も刑事訴訟法も何度も改正になってきました。最近は共謀罪というのもできました。
民事の世界の法律はもっと改正になっています。
もし、多くの国会議員が、民事の世界と刑事の世界という、法律の基本的なことすら理解しないまま、法律をつくったり変えたり議論してきたのだとすると、かなりゾッとします。
なんせ、刑事の世界は、国家が人を処罰する手続きですから、国会議員は、常に過剰な人権侵害になっていないか、警察が暴走しない歯止めはできているかに注意を払い、立法しなければなりません。
他方、民事の世界においては、両当事者が平等になっているか、つまり権利を得る人と義務を課される人の両方の立場を想像してみて、バランスがわるくないかを考える必要があります。
果たして、これまで国会では適切な検討がなされてきたのか、そして、これからはされるのか、一国民としてはかなり心配になりました。
国会議員に様々な方がなるのは当然なのですが、最低限の法体系の基本については、しっかり学んでいただきたいと思いますし、専門家からのレクチャーも必要に応じて受けてほしいと思います。